これまで佐渡島やインド洋低ジオイド域など、衛星データとDEM(標高データ)を組み合わせた鳥瞰図をいくつか作ってきました。使っていたのは主にヨーロッパの地球観測衛星Sentinel-2です。ただ今回は舞台が南極大陸全体となったため、Sentinel-2ではなく、アメリカNOAA(海洋大気庁)の極軌道衛星NOAA-21に搭載されたVIIRS(可視赤外撮像放射計)というセンサーを使いました。理由は単純で、Sentinel-2の観測幅(スワス)は約290kmしかなく、南極大陸(約1,400万km²)を隙間なく覆おうとすると現実的な処理時間で終わらないからです。VIIRSは観測幅が約3,000kmと一桁大きく、しかも極軌道の性質上、南極点周辺は1日に十数回も衛星が通過します。大陸スケールの合成には、こちらのほうが分がありました。

【図1】南極大陸 夏の鳥瞰図(NOAA-21 VIIRS × REMA DEM、2024年12月〜2025年2月合成)
1. Sentinel-2からNOAA-21 VIIRSへ ― 大陸スケールで衛星を乗り換えた理由
項目Sentinel-2(過去記事)NOAA-21 VIIRS(今回)地上分解能10m375m(I1/I2バンド)観測幅(スワス)約290km約3,000km極域での再訪頻度数日に1回程度1日に十数回(極軌道が収束するため)夜間観測不可可能(Day/Night Band)今回向いていた用途佐渡島など地域スケール南極大陸全体という大陸スケール
表1. Sentinel-2とNOAA-21 VIIRSの比較(筆者作成)
具体的には、EPSG:3031(南極極域ステレオ投影)でx: -2,700,096〜2,750,904m、y: -2,500,096〜3,342,080mという範囲を1500m/pxのグリッド(3634×3895px、約1,415万画素)に切り、REMA(Reference Elevation Model of Antarctica)v2.0の32mモザイクDEMと組み合わせて、地形を15倍に強調した鳥瞰図としてレンダリングしています。単月のデータでは大陸全体を雲なしで埋めるだけの観測が集まらないため、夏は2024年12月〜2025年2月の3か月分から150組(全3,284組中の約4.6%)、冬は2024年7〜9月の3か月分から100組(全1,232組中の約8.1%)を時系列で均等に間引いて合成しています。
2. 南極大陸を発見した人々 ― 1820年、3か国がほぼ同時に見つけた大陸
南極大陸が発見されたのは1820年前後とされていますが、正確には「誰が最初か」は今も確定していません。イギリスのブランスフィールド、アメリカのパーマー、ロシアのベリングスハウゼンの3人がほぼ同時期に南極の陸地・氷を目撃したという記録が残っているものの、遠くから氷塊を見ただけでは、それが陸地の上の氷なのか、ただの海氷なのかを判別できなかったためです。南極大陸は「発見された日」がはっきりしない、珍しい大陸なのです。
それから90年後の1910年、南極点を目指す「点への到達競争」が本格化します。ノルウェーのロアール・アムンセン隊、イギリスのロバート・スコット隊、そして日本の白瀬矗(しらせ のぶ)隊がほぼ同時期に南極を目指しました。1911年12月14日、アムンセン隊が人類初の南極点到達を果たします。スコット隊は1か月遅れの1912年1月18日に到達しましたが、帰路で全員が遭難死するという悲劇に終わりました。
3. 白瀬矗と「開南丸」― 日本人初の南極挑戦
白瀬矗は元々、北極点到達を志していた陸軍中尉でした。しかしアメリカのピアリーに北極点を先んじられたことで目標を南極に切り替え、1910年11月、204トンの木造漁船を改造した「開南丸」で出航します。政府からの支援はほとんど得られず、大隈重信らの後押しで集めた義援金が頼りでした。
1912年1月16日にロス海の鯨湾へ到達した白瀬隊は、1月20日から犬ぞりで南進を開始。しかし猛吹雪と-20℃級の寒さの中、9日間で282kmを進んだところで限界を迎え、1月28日、南緯80度05分の地点で南極点への行進中止を決断します。この地を「大和雪原(やまとゆきはら)」と名づけ、日章旗を掲げました。白瀬は当時、「我は泣いて使命のためにこの上の行進を中止しぬ」と記しています。南極点には届きませんでしたが、1年7か月・約4万8千kmの航海の末、隊員全員が無事に日本へ帰還しました。
4. 昭和基地とタロ・ジロ ― 戦後日本の南極観測
日本が組織的に南極観測へ乗り出すのは、白瀬隊から44年後の1956年です。国際地球観測年(1957〜58年)に合わせ、第1次南極地域観測隊53名が22頭の樺太犬とともに観測船「宗谷」で出発。1957年1月29日、東オングル島に上陸し、この地を「昭和基地」と命名しました。
しかし1958年2月、悪天候により「宗谷」が氷に閉じ込められ、第2次越冬隊は基地への上陸を断念せざるを得なくなります。ヘリコプターの輸送枠には限りがあり、人間や一部の小動物を優先せざるを得なかった結果、15頭の樺太犬が「再び迎えに来る」ことを期待して鎖につながれたまま基地に取り残されました。隊長の菊池徹は当時、「だのに、そのお前たちへの最後のはなむけが置き去りとは、私は気も狂わんばかりだ」と書き残しています。
1年後の1959年1月14日、第3次観測隊が昭和基地にヘリコプターで到着した際、置き去りにされた15頭のうち「タロ」と「ジロ」の兄弟犬2頭が生きているのが発見されました。他の13頭は鎖につながれたまま死亡、または行方不明となっていました。当時「共食いで生き延びたのでは」という噂も流れましたが、遺体に損傷がなかったことから後に明確に否定されています。後年の検証では、リーダー犬「リキ」が再来直前まで生存し、タロとジロを導いていた可能性も指摘されています。この物語は1983年に映画「南極物語」、2011年にテレビドラマ「南極大陸」として描かれました。
年月できごと1820年頃英・米・露の3隊がほぼ同時期に南極大陸を発見(最初の発見者は諸説あり未確定)1911年12月14日アムンセン隊、人類初の南極点到達1912年1月18日スコット隊、南極点到達も帰路で全員遭難死1912年1月28日白瀬矗隊、南緯80度05分「大和雪原」に到達し南極点行進を断念1956年11月第1次南極地域観測隊、樺太犬22頭と共に「宗谷」で出発1957年1月29日昭和基地開設(東オングル島)1958年2月第2次越冬断念、樺太犬15頭を基地に残す1959年1月14日タロ・ジロの生存確認1959年12月1日南極条約調印(ワシントン、日本含む12か国)1961年6月23日南極条約発効
表2. 南極発見・観測史年表(出典: 環境省南極キッズ、国立極地研究所、外務省等をもとにNotebookLM Deep Researchで調査・筆者要約)
5. 南極条約 ― 「誰のものでもない大陸」を守る枠組み
南極点到達競争と昭和基地の悲劇から生まれた教訓は、1959年12月1日、ワシントンでの南極条約調印という形に結実します。日本を含む12か国が署名し、1961年6月23日に発効しました。条約の骨子は、(1)各国の領土権主張を条約の効力が続く間は凍結する、(2)平和的利用のみを認め軍事基地・核実験・放射性廃棄物処分を禁止する、(3)科学的調査の自由を保障し国際協力を促進する、(4)相互査察を認める、の4点です。領土権主張を「あるともないとも言わない」まま棚上げするという、なんとも玉虫色の解決策ですが、これが60年以上も大陸規模の軍事衝突を防いできたのは事実です。現在では環境保護議定書により、タロ・ジロの時代とは違い外来生物の持ち込みも厳しく制限されています。
6. NOAAという組織とVIIRSセンサーの歴史
今回データを提供してくれたNOAA-21衛星を運用するNOAA(米国海洋大気庁)は、1970年にニクソン政権下の再編計画により設立されました。1807年創立の沿岸測地測量局、1870年創立の気象局、1871年創立の商業漁業局、そして1965年設立の環境科学業務局(ESSA)という、由来の異なる複数の機関が統合されてできた組織です。

【図2】NOAA衛星とVIIRSセンサーの歩み(筆者作成)
面白いのは、NOAAの衛星観測の歴史はNOAAという組織自体より10年古いという点です。世界初の気象観測衛星TIROS-1は1960年打ち上げで、NOAA設立の1970年より前に遡ります。その系譜の先に、現在のJPSS(共同極軌道衛星システム)計画があります。VIIRSセンサーは2011年打ち上げのSuomi NPPに初めて搭載され、2017年のNOAA-20(JPSS-1)に続き、2022年11月10日に打ち上げられたNOAA-21(JPSS-2)で3代目となりました。NOAA-21のVIIRSは同年12月5日から観測データの取得を開始しており、今回使ったデータはこの最新世代のセンサーによるものです。
衛星名打上げ備考Suomi NPP2011年VIIRS初号機を搭載NOAA-20(JPSS-1)2017年VIIRS 2号機NOAA-21(JPSS-2)2022年11月(観測開始は12月)VIIRS 3号機、今回のデータ取得元
表3. VIIRS搭載衛星の系譜(出典: NOAA/NESDIS公式発表等をもとに筆者要約)
VIIRSには、DNB(Day/Night Band、昼夜観測バンド)という独特のチャンネルがあります。波長0.5〜0.9µmの広帯域を750m(直下点)の分解能で観測するもので、通常の可視光センサーではノイズに埋もれてしまうような、月明かり程度の低照度でも画像化できるのが特徴です。都市の光や漁船の集魚灯、オーロラ、山火事、そして今回のような極地の薄明かりまで捉えられます。実際、2024年のハリケーン・ヘリーン接近時には、このDNBの夜間画像が嵐の構造把握に活用された例も報告されています。今回の鳥瞰図は可視〜近赤外のI1/I2バンドを使っていますが、冬の南極のように太陽高度が低く光量が乏しい場面での観測は、まさにこのDNB由来の低照度技術の延長線上にあります。
7. 夏の南極大陸を鳥瞰する
図1(冒頭)が、今回の本題である夏(2024年12月〜2025年2月)の南極大陸鳥瞰図です。地図で見慣れた南極大陸とは違い、斜めから見上げるアングルにしたことで、円形に近い大陸の輪郭と、左下に細長く伸びる南極半島の存在感がよくわかります。地形の起伏は実際の15倍に強調してあり、内陸の氷床標高(東南極で3,000〜4,000m級)の高まりが立体的に浮かび上がっています。
数字で見ると、この夏の合成グリッド(約1,415万画素)のうち、雲マスク後に1回以上晴天観測があったセルは76.79%です。残りの大半は近傍12km以内の実データで補間できていますが、それでも実データから12km以上離れていて中立トーンで描いた領域が10.22%残っています。南半球の夏は太陽が沈まない白夜のため、観測条件そのものは比較的良好です。

【図3】南極半島ゲルラッシュ海峡周辺の夏(1月)の鳥瞰図。大陸全体版より高解像度なグリッド(400m/px)で、山稜や氷河の陰影がより鮮明に見える
8. 冬の鳥瞰図の「特殊な感じ」― 花びら模様の正体
今回、夏と対にして冬(2024年7〜9月)の鳥瞰図も作成しました。ひと目見て、夏とはまったく印象が異なるはずです。

【図4】南極大陸 冬の鳥瞰図(NOAA-21 VIIRS × REMA DEM、2024年7月〜9月合成)
全体が紫がかって暗いだけでなく、大陸中心(南極点付近)から放射状に広がる、花びらのような、あるいは渦を巻いたような明暗のムラが見えます。氷床の模様か何かのように見えるかもしれませんが、これは正直に書いておく必要があります。この模様は氷の質感でも、実在する地形パターンでもありません。
描画時にまず疑ったのは「3D鳥瞰図特有の描画バグ」でしたが、視点角度や地形強調率を変えても模様は変化しませんでした。次にDEM(標高データ)だけの真上からの陰影図を作ってみると、模様は一切現れません。最後に、3D化する前の冬の合成データそのものを真上から2次元表示したところ、この時点で既に同じ扇形の明暗パターンが存在していました。つまり、レンダリングの問題ではなく、VIIRSの合成データ自体にもともと含まれている現象だったということです。
原因として物理的に妥当な説明は、南半球の冬(極夜期)特有の太陽高度の経度依存性です。南極の冬、大陸のどの地点で「太陽が地平線上にあるか」は、その地点をVIIRS衛星が通過する時刻(=地方太陽時、つまり経度)に強く左右されます。今回の合成は、DAY(昼間)条件を満たす全1,232組の観測データのうち、時系列で均等に間引いた100組(約8.1%)を使っています。間引かれた粒度ごとに観測時刻(経度セクター)が異なるため、隣り合う経度セクターの間で「捉えられた太陽高度」自体が不連続に変化し、明るさが急に変わる扇形の帯として現れてしまうのです。南極半島だけを対象にした狭い範囲(図5)ではこの経度をまたぐ幅が小さいため目立ちませんでしたが、大陸全体・極点周辺では軌道が収束する分、この模様が可視化されやすくなります。

【図5】南極半島ゲルラッシュ海峡周辺の冬(8月)の鳥瞰図。全体的に暗く紫がかっているが、対象範囲が狭いため花びら模様は目立たない
数字で比べると、この冬の合成の明るさ(R/I1チャンネル平均値16.2)は夏(同50.7)の約3分の1しかありません。一方で雲マスク後のカバレッジは84.12%と、むしろ夏(76.79%)より高い値になっています。これは矛盾ではなく、冬の間引きサンプルがたまたま広い面積をカバーする軌道に偏っていたことによるもので、「カバレッジが高い=きれいに見える」わけではないという良い教訓になりました。また、南極点を含む内陸の広い範囲はそもそも太陽が一切昇らない極夜であるため、「DAY条件を満たす観測が存在しない」領域が原理的に生じます。これは捏造でも欠陥でもなく、南極の冬という季節そのものが持つ物理的な事実です。
まとめ
地図の上で見る南極大陸は、他の大陸に比べるとどうしても小さく、遠い場所に感じられます。しかし実際にグリッドを組んでみると、大陸を囲む矩形だけで約3,190万km²、大陸そのものの面積でも約1,400万km²と、日本の国土(約38万km²)の40倍近くに達します。斜めから見上げる鳥瞰図にしてみて初めて、「南極大陸は、大きな大陸だったんだ」という当たり前の事実を体感として理解できた気がします。
そしてこの大陸を、白瀬矗は犬ぞりと徒歩で282km進み、タロとジロは鎖を残されたまま1年間生き延び、今も昭和基地では観測隊が季節を問わず観測を続けています。今回のNOAA-21 VIIRSによる鳥瞰図は、そうした人間の足跡が刻まれてきた大陸の「今この瞬間の姿」を、宇宙から間引きながらも捉えたスナップショットです。冬の花びら模様のような、きれいごとでは済まない観測の限界も含めて、正直に記録しておきたいと思います。
データ出典: NASA/NOAA VIIRS(VJ202IMG/VJ203IMG、LAADS DAAC)、CLDMSK_L2_VIIRS_NOAA21(雲マスク)、REMA v2.0(Polar Geospatial Center)。歴史的経緯の調査にはNotebookLM Deep Researchおよび環境省・国立極地研究所・外務省等の公開情報を利用。

